宝篋印塔

ほうきょういんとう
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宝篋ほうきょうは、宝の箱または宝を入れる籠を意味します。
印は、価値の高いことを意味します。
宝篋印陀羅尼を納めた塔を、宝篋印塔と言います。

 宝篋印陀羅尼 ほうきょういんだらに

宝篋印陀羅尼は、一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらにきょうに出てくる陀羅尼です。

お釈迦様が、信者の家へ行く途中で、光明を放つ朽ちた塔を見つけ、その塔の貴重さと功徳を説明しました。

もし地獄に落ちても、その子孫が宝篋印陀羅尼を唱えれば、溶けた銅や鉄は一瞬にして極楽の池となり、地獄の門は破れ、悟りへの道が開ける、と言うような内容です。

宝篋印陀羅尼は罪障消滅・寿命長養の功徳がある、とされる陀羅尼です。 

仏頂尊勝陀羅尼ぶっちょうそんしょうだらにや阿弥陀仏根本陀羅尼あみだぶつこんぽんだらにとともに三陀羅尼と呼ばれ、天台宗真言宗でよく使われます。

 宝篋印塔

お釈迦様が亡くなって約100年後、インドのアショーカ王=阿育王が、インド全国に84,000の塔を建て、そこへお釈迦様の遺骨=仏舎利を分けて祀った、と言われています。

中国ではこの故事にならって、銭弘俶せんこうしゅく(在位948〜978)という王様が、、高さ20cm程度の金銅製の塔を84,000つくり、中に宝篋印陀羅尼を納めて各地に祀りました。一般に金塗塔と呼ばれています。

日本でも、高さ数cmの木製の宝篋印塔に、宝篋印陀羅尼を書いた紙で、仏舎利に見立てた籾もみ一粒を包んだものを納めた籾塔もみとうが作られました。

日本では、はじめ密教系の塔でしたが、後に宗派をこえて流行し、お墓や供養塔としても用いられるようになりました。独特なスタイルの為か、宝篋印陀羅尼以外のものを収めても宝篋印塔と呼ばれています。

石造の宝篋印塔は、鎌倉時代以降にたくさん建てられました。

 スタイル

仏塔は丸を基本とすることが多いのですが、宝篋印塔は方形をモチーフとしたような、独特のスタイルです。

特に笠の部分の、四角い板を何枚も重ねたようなスタイルが特徴です。また、四隅の三角形の飾りも特徴で、垂直に近いほど時代が古い、といわれています。

微妙な違いですが、スタイルで関西系と関東系=関西系以外に分けることもできるようです。

塔身の四面には、一般的に金剛界四仏の梵字が入れられています。 陀羅尼の頭文字の場合もあります。

四仏の方向は、祀る場所の実際の方位に合せるのではなく、寄り付きの良い面を東として祀る場合と、西方極楽浄土を願って、阿弥陀様の西を正面として祀る場合があります。

 

※フォントに無いので代用です。は門構えの中はへの下に人が二つならびます。

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