星曼荼羅

ほしまんだら   ハレー彗星
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星の供養をする時に懸ける星曼荼羅。
星の供養は平安時代から行われました。
星の供養は天変地異や疫病などの災いを払い、息災延命を祈ります。

一般的な方形の星曼荼羅
 
 

 

 

 

円仁は、記録魔と言われる程よく記録を残した天台宗の僧侶で、遣唐使として中国へ行ったときの記録が入唐求法巡礼行記。

その克明さは評価が高く、マルコポーロの東方見聞録、玄奘の大唐西域記とともに、世界の三大旅行記といわれています。

  

 

 

ハレー彗星は、約76年周期で地球に接近する彗星で、中国の文献には紀元前から登場します。

837年は地球まで0.03AUの距離に近づきます。
AUは天文単位で、地球と太陽との距離を1AUとします。

過去20回ほどの記録を見ると、最も遠地点を通った年で0.49AU、平均で0.27AUです。

 曼荼羅 まんだら

曼荼羅はサンスクリット語音写で、曼陀羅、曼拏羅などとも書きます。直訳すると、本質を得る、となります。

本質を得ることは、仏様の最高の悟りを得ることで、これを形にしたのが曼荼羅です。

曼荼羅は悟りを得た所。そのような場所では、壇を設けて仏様を招くことから、壇や集合体を意味するようになり、仏様の集まりを描いたモノを曼荼羅と呼ぶようになりました。

 

曼荼羅の形は、丸形と方形があります。日本の曼荼羅には方形が多いようですが、曼荼羅の語源には、円形のモノ、と言う意味もあります。

曼荼羅は、輪円のように過不足なく調和の取れた境地なので、輪円具足りんえんぐそくとも訳されます。

インドでは土で壇を築き、そこに立体的な仏様を祀ったり、色砂で描いたりします。祈りが終わると、壇はすぐに元に戻します。どんなに手間ひま掛けて制作したものでも、一回だけの使い切りなのです。

中国や日本では、壇を作るより、掛け軸に描くことが一般的となりました。

 星曼荼羅 ほしまんだら

曼荼羅には、色々なモノがあります。古代の星占いから始まった星曼荼羅、北斗曼荼羅とも呼ばれます。

登場する仏様は、一字金輪仏頂いちじきんりんぶっちょうを中心に、北斗七星、九曜星十二宮二十八宿などです。なぜこの様な組み合わせになったのか、よりどころとなるお経は、よく分かりません。

一字金輪仏頂は北極星であり、お釈迦様でもあります。宗派によっては、妙見菩薩みょうけんぼさつ尊星王そんじょうおう熾盛光仏しじょうこうぶつなど、中心となる仏様はさまざまです。

いずれにしても、星曼荼羅は日本オリジナルの曼荼羅と考えられています。外周が二十八宿、その内側が十二宮、ここまではどの図でも同じですが、中央部分の九曜星や北斗七星の配置は、丸形か方形か、また作者により相違があります。

 ハレー彗星

星曼荼羅が成立した頃は、ハレー彗星が地球に一番近づいた頃と重なります。星に特別な関心が強まったのでしょうか?
円仁の書いた入唐求法巡礼行記にっとうぐほうじゅんれいこうきには彗星を見た話が登場します。

838年10月22〜23日の部分に・・・
早朝、東南の空の隅に、長さ2.4メートル程の彗星を見た。曇っていて良く見えない。よく23日の夜にはハッキリと見えた。大きさは全体で30メートル以上もある。
地元の人は光る刀と言い、不吉の前兆と捉えた。出現してから三日程たつ。どこの
でも、毎日七人の僧侶で七日間、涅槃経と般若経が読まれた。・・・(直訳ではなく要約です)

前年の三月にも彗星が現れ、その時も大騒ぎになった話を聞いて、それは自分が昨年日本で見た星と、同じ星の話である、と確信します。838年の1年前ですから、前年の星はハレー彗星と言うことになります。そしてこの時はハレー彗星が最も地球に接近した年で、彗星全体でも4番目に最接近した年です。

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