極  微

ごくみ 微塵みじん 仏教的原子論
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原子を意味する極微ごくみ
これ以上分割できない最小の実体。
極微は極微塵ごくみじんの略。
極微はサンスクリット語のパラマーヌの訳。

微塵

  

 

※ 麭はフォントにないので代用です。包の部分は廣になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


   

 

 

 

 七倍の七倍の七倍・・・

極微、仏教では「ごくみ」と読みます。原子レベルの大きさを指します。隣虚りんこと訳された時代もあります。

すべての物は、この極微の組み合わせで出来ている、と考えられました。原子論の原型とも言える様な考え方です。

ひとつの極微に上下と四方=合計7個の極微が集結したものを微塵みじんと言います。木っ端微塵こっぱみじんの微塵です。微塵が物質の最小単位です。

お経によって名称や段階が多少異なりますが、だいたい次のようになります。最後の一つを除き、七つ集まると一つ上の塊となります。

 極微 の7倍が 微塵 or 微 or 阿耨塵あのくじん
 微塵 の7倍が 金塵 or 銅塵 or 鉄塵  
 金塵 の7倍が 水塵
 水塵 の7倍が 兎毛塵ともうじん
 兎毛塵 の7倍が 羊毛塵ようもうじん
 羊毛塵 の7倍が 牛毛塵ごもうじん
 牛毛塵 の7倍が 隙遊塵げきゆうじん or 向遊塵こうゆうじん or 日光塵
 隙遊塵 の7倍が 蟻
  の7倍が 蝨しつ
  の7倍が こうばく
  の7倍が 指節しせつ
 指節 の3倍が 指

極微から麥までが立体的な大きさで、最後の二つは少し異なります。
 金塵は、金属の分子の間を動くことが出来る程度の大きさ。
 水塵は、水の分子の間を動くことが出来る程度の大きさ。
 毛塵は、毛の端の塵程度の大きさ。
 日光塵は、日光の中に浮遊する微細な塵のことです。

 眼に見えるのは・・・

極微は、見ることも触ることも出来ないモノ、とされています。微塵から水塵は、普通の人には見えない世界で、天眼と輪王眼と菩薩の眼に見える、とされています。

天眼は超人的な視力で、物を透過して見る事も出来るような能力です。輪王と菩薩は仏様の眼=悟りの眼と言うことです。

兎毛塵や日光塵あたりから、肉眼でもなんとか確認できる程度の大きさとなります。

また、微塵を小微塵、中微塵、大微塵に区分する分け方もあります。大微塵が普通の人が見ることのできる大きさで、遊塵とも言います。

逆に物を微塵に分解すると、その数は非常に多くなるので、極めて数の多いことを微塵数みじんじゅと言います。

 どのように存在するか?

見ることも触ることもできない原子の世界。極微は実在するのか?実在するとすればどの様な形で?

原子のまま多数であると考えるグループ=説一切有部せついっさいうぶ
集結した原子と考えるグループ=経量部きょうりょうぶ
両者とも否定するグループ=唯識ゆいしきはなどがあります。

説一切有部お釈迦様の没後100年位に最も勢力のあった保守的な考え方のグループ。
経量部:説転部とも言い、説一切有部から分かれたグループ。
唯識派瑜伽行派ゆがぎょうはとも呼ばれ、当初は瑜伽行中心で、後に唯識説の理論に重点を置くようになったグループ。

 光より早い素粒子?

現在では、原子は原子核と電子から、原子核は陽子と中性子から、と細分化され、さらにいろいろな素粒子が見つかって、光よりも早く飛んだ素粒子が観測された、というニュースも。

極微は地水火風の四大に依るところがあります。また極微を分析すると空になる、と説くお経=成実論じょうじつろんもあります。

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