ぼう
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舎=僧房。僧坊とも書きます。単に房または坊とも言います。
奈良時代、南都六宗の僧は全員、坊に住んでいました。
間口7m奥行13m程の建物に、5〜8人が共同生活していた、と考えられています。
平安時代になると、仏門に入る皇族や貴族が増え、私僧房としての子院が生まれます。

※桀はフォントに無いので代用です。手偏が付きます。

 

 

 

 

 

 坊と房

僧の住むところを坊または房と言います。漢字の意味としては、坊は区画を表す言葉で、小さな建物や部屋が集まった一区画を坊といいます。房にも区画の意味がありますが、独房のように小さい部屋、の意味で使われることが多いようです。

インドでは、一人用の坊の大きさは12ちゃくしゅ×7手で簡素な部屋、という基準がありました。

手は仏像などに用いる長さの単位で、親指と中指とを伸ばした長さ、と言われますから約3畳程度です。

 坊主

坊は長屋形式で、数人が共同生活をしていました。坊の責任者=あるじが坊主です。房主とも書きます。坊主はしだいに僧の総称となり、さらには丸刈りや剃った頭など、僧の髪型に似たものを坊主と呼ぶようになります。茶坊主や男の子を坊主と呼ぶのは、ここからきています。

平安時代になると坊は小型化し、私設の房も登場します。○○房という固有名が付けられ、1人で坊を使うケースも出てきます。また、大きいに付属する子院の固有名が坊名となる場合もありました。

坊=寺の意味で使われるようになると、いつも住んでいる寺を自坊、大寺院の寺務を取り仕切る所を本坊参詣者の宿泊用を宿坊、などと呼ぶようになります。真宗では別院を御坊ごぼう、住職の妻を坊守ぼうもりと呼ぶことがあります。

 房号

得度をすると房号を持つことが、鎌倉時代以降に流行しました。

例えば源義経の従者、武蔵房弁慶の武蔵房が房号です。浄土宗の開祖、法然上人の法然も房号です。名は源空で、武蔵房弁慶のような呼び方をするなら、法然房源空となります。この名乗りは慈眼房叡空の弟子となった時からで、最初は円明房善弘と名乗っていました。

現在では房号を持つことや、房号で呼ばれることは稀ですが、戦前までに得度をした人たちは房号を持っていることが多く、若い時からの知り合いは房号で呼び、一人前となってからの知り合いは僧名で呼ぶケースが多く、呼び方でいつからの付き合いか分かる面もありました。

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