四賓主と四料簡

しひんじゅ と しりょうけん
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四賓主ひんじゅは、人間と人間との関係を表したものです。
四賓主には、臨済の説と曹洞の説があります。

臨済宗の祖は、臨済義玄禅師です。

曹洞宗は、二人の僧侶の名前から付けられた、といわれています。
山本寂
そうざんほんじゃく禅師と山良价とうざんりょうかい禅師とする説と、渓慧能そうけいえのう禅師と山良价禅師とする説があります。

 賓と主   

四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたものです。賓は客、主は亭主。通常、客が修行者、主は師となります。

@ 客看主 「客、主を看る」
修行者が力量のある者で、師に力量がない=劣る場合。

A 主看客 「主、客を看る」
師に力量があり、修行者に力量がない=劣る場合。

B 主看主 「主、主を看る」
師も修行者も、ともに優れた者の場合。

C 客看客 「客、客を看る」
師も修行者も、ともにまだ悟っていない力量不足者同志の場合。

以上は臨済宗の場合で、曹洞宗では、

@主中賓 A賓中主 B主中主 C賓中賓 と表します。

禅の問答集を読む時、これを知っていると、奥深さが一段とよく分かると思います。また、日常生活の会話でも、このようなケースがあると思います。

 こんにゃく問答

落語に「こんにゃく問答」という話があります。

にわか住職になったこんにゃく屋の主人が、旅の僧に禅問答をしかけられ、だんまりの一手で乗り切ろうとします。
ところが、黙っているのは無言の修行中と勘違いされ、ジェスチャーでのトンチンカンな問答となり、最後はなぜか旅の僧に敬服される、という話です。

にわか住職に力量が無い事は確かです。にわか住職と見破れなかった旅の僧の力量は、どうだったのでしょうか?

この話、四賓主のどのパターンにあたるのでしょう?
@ 修行者に見破られている状態。
A にわか住職に見破られている状態。
B 共に悟りの眼があり、禅の話をして相通じる状態。
C 共に悟りの眼がないので、お互い話がチンプンカンプンの状態。

 四料簡 しりょうけん

こちらも臨済義玄禅師が提唱したもので、臨機応変に修行者を導くことを示した四種類の指導方法です。

、奪人不奪境だつにんふだつきょう 修行者が自分を見つめることを否定して、現象とか環境に没入させる。
、奪境不奪人だつきょうふだつにん 修行者が現象とか環境に没入することを否定して、自分のみ見つめさせる。
、人境両倶奪にんきょうぐだつ 修行者を徹底的な無の境地に導く。
、人境倶不奪にんきょうぐふだつ 修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導く。

これも日常生活に置き換えてみることができると思います。

ある時は、自分を忘れて相手を生かす。
ある時は、相手を無視して自分だけで振舞う。
ある時は、自分も相手も忘れる。
ある時は、自分もあり、相手もある。

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